昭和五十七年度 全国大会労働大臣賞

◆◇田舎から都会へ来て◇◆◇

夜間部二年普通科 加藤 正明   

 僕が田舎から市高のある豊橋という街に来てから、はや一年と八ケ月の月日が経ちました。それまでは長野県の平谷村という、県下最少の農村に居たんです。最少と言ってもどれくらい最少なのか、皆さんには見当がつかないと思いますが、なんせ村の人口が六百人位しかいないんです。
 そんな小じんまりとした所で生活していた僕が、中学校を終えてすぐさまこの街へ来た訳なんですが、もぉホンマに世の中の文明が変ってしまったんではないか、と思う位びっくりしました。
 やっぱし田舎と都会は違いますよ。産業は豊かやし、物はそろっとるし、交通は便利やし、何一つ不自由な点は無いですよ。例えば「あれが欲しいなぁ」と思ったら、直ぐ手に入るでしょう。「街へ出てこかなぁ」なんて思えば、いつでも出ていけるでしょう。僕の田舎なんか、「あー、あれが買いたいなぁ」と思っても、それが無かったら遠くの街まで行かな売ってへん。その街まで行くのに一時間半バスに乗って、片道千百円もいるんですよ。そのバスかて、一日に三本しか出てへんのです。こんなこと日曜のたんびにやってられますか。
 こんな不都合な事を理由にして、田舎の若い人達はみんな都会へ出て行きます。そりゃあ村におったって面白く無いと思う。けれど、都会へ来たら山ほど面白い事があるかというと、実際に都会で暮らしてみて分かったんですが、そんな事は無いみたいです。
 去年の夏休みに同窓会をやりまして、その時担任の先生が、「君達はこの村を出てからいったい何を得てきたのか」と尋ねましたが、みんなハッキリした答えはしませんでした。
 それじゃあ、僕が都会で得た物は何かっていうことですが、それは昼間働き夜学ぶ勤労学生として、いろんな境遇の人達と一緒に生活しているというこの体験だと思うんです。。『苦労に苦労を重ねた定時制高校生』と言う言葉を、前々から耳にしていました。その頃は 何の関心も無かったんですが、今になってこの言葉を実感として感じる様になってきました。今、僕はお菓子を造る工場に勤めているんですが、田舎でのんびり暮していた僕には、昼間働き夜学ぶという生活はきつかったです。中学出たての若造が大の大人に混って働くことからくる精神的な苦痛、これが一番応えました。いつもおどおどしていて、どなられたり、イヤ味を言われたりしながら、お菓子を造っていたんですが、自分ながら今思うと、かなりいじけていました。仕事に疲れ切って、学校へ行くのがイヤになった事もありました。「止めよかなぁ」と思ったことも幾度かあります。そんな時、勇気付けてくれたり、励ましてくれた仲間が沢山いました。
 そうした仲間との出会いの中で、僕の最も励みになったのが、同じクラスにいるAさんです。彼は僕の倍も歳とった『小父さん』と言っていいような人なんですが、なんでも幼い時にお父さんを亡くしたために、とうとう高校へも行けず、いろんな苦労をして、今では家庭を持って生活にゆとりも出て来たので、とにかく高校卒の資格が取りたくて、この市高へ入学したそうですが、なんたって自分の歳の半分位の人達と交って勉強するには、相当の努力がいると思うんです。
 入学した頃のAさんの自己紹介を覚えていますが、こんなことを言ったと思います。
 「私はちょうど今の皆さんの年頃に色々と事情がありまして進学できずに、今、ようやく高校へ入れました。時代もある程度変ったことだから、皆さんについていくのは本当に難しい事でしょうが、とにかく皆さんのシッポについていくつもりで、一生懸命頑張ります。そして、いろんな面で皆さんのお役に立てれば嬉しいと思います。」
 時代は変ったのかどうかは知りませんが、授業中に「私の頃はですねぇ」という言葉で先生に質問することがあります。僕達にとってはその言い方がおかしくてたまらない訳なんですが、Aさんはもちろん真剣そのものです。その時その時が真剣勝負という感じなんですね。目の輝きが、僕とは全然違うんです。
 もちろん、今ではクラスの人のシッポをついて回るどころか、上位に必ず並ぶほどの成績を挙げて頑張っています。自分がもし仮に今、一生懸命勉強して成績が上位にあったとしても、どおって事無いと思います。僕はただ仕事と学校という、2つの事しか背負っていないのですから。しかし、Aさんは仕事と学校の上に、更にもう一つ家庭というものがあって、又、奥さんや子供さんを養っていかなければならない、重大な責任を持っている訳です。
 僕は、自分が仕事がえらい、学校へ行くのがイヤだ、眠たいなんて考えていたことを思うと、本当に恥ずかしい気持ちでAさんに頭が下がります。僕の苦労なんかはAさんの足元にも及ばないんだってつくづく思うんです。
 今、クラスがまとまっているのもAさんのおかげだと思っています。入学した日から今日まで、まだまだ二日間しか休んでいないAさん。いつも目の輝きを失わないAさん。だから僕もそんなAさんに負けない様に、今まで一日も休まずに頑張っていられるんです。
 クラスメイトの中に、自分の悩みや苦しみを、それ以上の立場から見て慰め相談にのってくれる、そんな友達がいるのは定時制高校ならではの事と思いませんか。
 なにもAさんに限らず、定時制高校にはAさんに似た人が沢山いると思います。その様な人達に僕が学ばなければいけない所は沢山有ります。色々な仕事を持っている、色々な友達から学ぶべき所をどんどん学びとって行こう。いつも目の輝きを失わないような高校生活を送ろう。そして、力一杯勉強して、卒業後は大学に進学したい。もっともっと沢山の知識を身につけて、日本一のお菓子屋さんになるんだ、そんな気持ちになってきたんです。
 ホンマ、田舎から都会へ来て良かった、と今、つくづく思っています。便利だからいいのじゃあないですよ。いろんな人達と一緒に高校生漬を送るという経験を得た事がですよ。田舎から都会へ出て来た僕も、大分生活に惰れました。これからも多くの人達から沢山の事を学びとって、一生懸命勉強して、本当の意味の「勤労学生」になろうと、一日一日をファイトを燃やしているんです。


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