平成六年度 愛知県大会教育委員会賞

◆◇私 の 中 の 私◇◆◇

昼間部四年普通科 菅野 美幸 

 今まで過ごしてきた中で、沢山の思い出があります。そして今、まだ私は思い出を作ろうとしています。
 私がこの学校に入学して、早五年目になりました。入学した頃は、仕事と学校の両立が難しく、小さなことにムキになり、わけもなく先生達に反抗して、自分で毎日をつまらなくしてしまいました。
 「学校なんてー。」と何度思ったことでしょう。
 「やめてやるー。」と何度口にしたことでしょう。仲の良かった友達は次々とやめていき、そして自分は、出席時間数が足りず、留年と決まりました。自業自得とは思ったものの、くやしくて涙のたえない日が続きました。
 「もう、やめようか。」とも考えました。
 両親に電話すれば、「帰っておいで。」の優しい声に、私は負けそうになりました。けれども、負けるわけにはいかなかったのです。私は両親にもらった新しい時間をムダにする勇気がなかったのです。結局、そんな思いが力となっていたかも知れません。負けまいという意志が、私の中で戦っていたのでしょう。
 留年してからの一年目は、みんなよりも、年上ということで、変な意地をはっていました。
 「年下になめられてたまるか。」
という気持ちで、つっぱっていたような気がします。そのうち、三人いた留年組のうち、二人はやめていき、いつしか私一人残ってしまいました。一人ではなにもできない私です。一人でつっぱっていても、楽しい事などないことに気づき、クラスのみんなとも、自分から接するようになり、それとともにクラスのみんなも、私を受け入れてくれるようになりました。自分の居場所が見つかり、新たな友達ができ、学校へ行くのが毎日の楽しみとなりました。
 クラスのみんなと意気投合して、教室に笑い声がどっと広がる、そんな学校が私にとって唯一、仕事でつかれた体をいやす、オアシスとなったのです。
 学校での楽しみを見つけ、そして自分のペースがつかめた時、思わぬ出来事がありました。それは転勤です。
 私はフジボー小坂井に勤めていました。三年過ぎたある日、不景気のため、富士紡鷲津工場に転勤することになりました。鷲津の生活は小坂井とは比べられないほどのきびしさでした。
 小坂井のころは、人数も多いほうではなかったので、人間関係もそうむつかしくはなかったのに、鷲津は小坂井の倍の人数のため、それなりの規定があり、人間関係も思うようにいきませんでした。仕事面でもやはり、小坂井とは違って怪我の絶えない日ばかりでした。時間に追われっぱなしの生活に、私はここでまた負けそうになりました。楽しい事を見つけようと努力もしました。でも、小坂井での楽しい思い出が頭から離れていかないのです。そんな生活を過ごしていくうち、昨年、小坂井の後輩8人が、また、鷲津に転勤してきました。その時私は、
 「逃げられない。」
そう思いました。私がしっかりリードしないと、みんな私と同じ気持ちになってしまいそうで、怖かったのです。「みんなで乗り越えていこう!」と私は心の中で思いました。今では鷲津にも良い友達ができ、楽しい生活を送っています。
 そうやって、いろんな事を乗り越えていくうちに、私の性格も変わっていったように思います。それまでつっぱってトゲトゲしかった自分がゆるくなってきたように思うのです。
 「菅ちゃん、変わったね。」
という言葉を何人もの人に、もらいました。その度、私は素直に喜んでいました。「もしかしたら、これが本当の、私なのかな?」と思いはじめたのです。
 人に尊敬され、自分の意志をはっきりもつようになり、時には馬鹿であって、そんな自分になりたい。調子に乗り過ぎた時もあったことは、今、反省しています。しかし、これも自分の持ち味なのだと考えていますが、すこしずつ直していくつもりです。
 生徒会執行部や室長を、いままで何度も経験している私ですが、人の上に立つということは、そう簡単なものではなかったのです。初めはほんのあこがれでしかありませんでした。けれど、いくつもの困難にあううちに、事の重大さに気づきました。それだけ学校という所で、生徒会執行部や室長とは、大きな仕事だったのです。私には賢い頭もなく、人をまとめる力も人並みに過ぎません。しかし、大勢の人を動かす時には、決してあやふやな答は出せないのです。でも今は、企画を立てたり、意見を出し合っていると希望がわいてきます。自分がここまでやれる事がわかり、自信もつきました。だから、残りわずかの間ですが、少しでも多くの意見を聞いてそしてみんなにも自分にもプラスになるように全力を尽くしたいと思っています。
 「努力」力をそそぐこと。大いにつとめること。私はこの言葉とともに、これからも戦い続けたい。逃げも隠れもせず、前へと突き進んでいきたい。時には、つまづくこともあるでしょう。時には、わき道にそれることもあるでしょう。けれど、私の中の私がいる限り自分の意志をしっかり持って、そして、仕事と学校を両立させ、卒業証書を手にして、社会へと進みたいです。今まで苦労してきたこと、経験してきたことをバネとして、大きな翼として、飛び立ちたい。そして、 「苦労を苦労と思わない人間」になりたい。
 私の中の私とは、そんな私の姿なのです。

  
 


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